第21話  鶴岡の釣り団体の結成    平成25年09月30日  

明治から大正、昭和初期迄にかけて著名な釣りの名人に陶山運平、上林義勝、中村吉次、宇野江山、石谷重吉、山内善作など多士済々である。その多くは、名竿師としても知られる人たちである。
 元来釣りと云うものは孤独なスポーツである。その結果釣り上手な人を中心に小規模な釣りの同好会のようなものが自然発生的に出来る場合が多い。そんな同好会でも、多くの士を束ねたのが、昭和十四年二月に荘内釣遊連盟なる一大団体で鶴岡の大宝館で発会式を行った。
 同年四月荘内の釣りの道徳の書として有名な「釣公徳」が発行された。釣り人口の増加は、モラルの低下となって現れた。そこで釣りの指導書としての性格をく反映したものが「釣公徳」であった。その発会式で当時の鶴岡市長は釣のマナーを良く守り精神の、修養並びに体位向上を切々と説いている。当時の日本は日中戦争の真っただ中有りにあり、日本の領土拡大戦争に反対する米英とは経済戦の最中であった。それに続く太平洋戦争の前夜と云う背景があった。

原本からの抜粋として

一、釣師は釣った魚、釣場の名前、釣り糸を聞きたがるものであるから、誠実に語るようにしよう。
一、一匹の魚を二人が釣ってしまった時は、色々と議論となるから大魚なれば半分に切りじゃんけんやくじ引きなどその他良い方法で協調すること。
一、陸(おか)でシノコダイ等を釣っていると、竿の先に船をかけて釣る等は、漁師ならば別として、釣師は遠慮すること。
一、釣りは魚が盛んに釣れ始めると喧嘩口論は勿論の事、お互い不快の感を起こさぬようお互い朗らかに釣る様にしよう。
一、釣場では撒餌をしても捨て竿などをして釣場を独占せぬこと
一、万一海に落ちたる人が居た時は、強いボーセキ糸を常時携帯し、タモ杖につけて投げ込み助けよう
一、二人以上の集まった釣場ではいたずらに細いハリスを使用し魚を逃がしてはならない・・・・・。
等々今考えると可笑しい事もあるが、冷静に考えれば極当たり前の事ばかりであった。釣り人口の増加は、モラルの低下をもたらすのは、今も昔も皆同じだ。
◎発会式に参加した団体と人数
 湯の浜ゑびす会(二十五)、鶴岡ゑびす会(四八四)、鶴岡釣友会(四十三)、加茂釣り天狗会(十五)、鶴岡千代田会(五十)、山添浦島会(二十)、大山ゑびす会(四十)、鶴岡銀麟会(二十五)、鶴岡八坂会 (四十)、鶴岡双葉会(十五)